鈴豆そうさく日記

自作イラストやドールドレスの紹介、日々の片付けや独り言などゆるゆる綴っていきたいです。

幸せとは感じるもの

こんにちは、鈴豆です。

年末の気配が段々強くなって来て、本当グッタリしている毎日です。

何もしなくても勝手に年は明けていく、大晦日も元旦も普通の一日なのになぁ~、どうしてこうも気が重いのか。

先日、どこで聞いたのか忘れたんですけど

「幸せとは『なる』ものではなく『感じる』ものだ」

と聞いて、あぁ…、確かになぁ、と。

「世界が100人の村だったら」だったっけ?以前流行った本。

幸せと言うのは周囲と比べてしまうもの。日本に生まれたというだけで世界の中では恵まれている部類のはず。でも

日本人で

「蛇口をひねれば水が出る」

事を、幸せだと感じている人はほとんどいないでしょう、当たり前の事だから。

という感じの事が書かれていて、ちょっと目から鱗…、だったんですね。

その当時の日本はまだ豊かだったから、今はちょっと事情が変わってるかもですが、それでもほとんどの方は「雨露を凌げる程度の所に住め」て、「飢えない程度には食べ物を買え」て、テレビとかスマホとかで最低限の娯楽とかも楽しめて、識字率もほぼ100%。

確かにド貧乏でも「私は幸せ!!」って心の底から本気で感じる事が出来るなら、その人は幸せなんだと思います(もう、催眠でも洗脳でも良いから「私は幸せ」って思わせて欲しい~)。

でも最低限の衣食住があるってだけで「あなたは幸せなんですよ!!」って言われたら、一時的には心が軽くなるかもしれないけど…、納得はしきれずにいます。

この間のギックリ腰が長引いて、身動きする度にというか寝転んでいてさえ痛かった日々ではやっぱり幸せだとは感じられなかった。

幸い、この数日でちょっと楽になって来たので、

「痛みが無く身動きが出来る!!嬉しい!!!」

とは感じます。

災害などで、水が出なくなったり電気が点かなくなったりして、ライフラインが復帰した時に

「はぁ~~~、電気があるって幸せ~~~~」

って感じる方は多いでしょう。それでも、それは一時的な事で、しばらくしたら「当たり前」になってしまう。

幸せの最低条件は最低限の健康で文化的な生活ではありますが、あくまで最低条件。

やっぱり、前記事で書いたような

ザッハトルテを食べるためにファーストクラスでウィーンへ飛ぶ」

なんて事は、私の人生ではもう叶わないのだと解ってしまったら、やはり自分の人生って何だったのかなぁ~、ってちょっと虚しくなって。ファーストクラスは極例ですけど…、ザッハトルテを食べるために普通クラスで旅行~、位なら…、でもそれだと体力面でも不安があって。

若い頃、私は「お着物を着てクラッシックコンサートに行く」のが夢でした。

勿論、たったの一度それが叶うならOKだと言うなら、今すぐにでも申し込むことは出来ます。

でもそうじゃない、それは最終目標では無い。

そういうハイソな事を普通に日常的に楽しめるような、ゆとりと品のある生活をする事が夢だったであって、昔は、いつかは自分は大成功して、そういう生活が出来るものと心の片隅では信じていました。

若さがあれば、「ビリミリオン」の歌詞にもあるように「無限大」までとは言わないまでも…ひょんなことで大成功したり大金持ちになるとかいう可能性が、誰しも全くの0って訳ではない。そして、自分の人生を売って得た大金で贅沢してもやはり虚しさが残るんじゃないかと思うけど、自分で成功して得たお金で、夢を叶えて見たかった。

若いうちの貧乏生活っていうのはまだ「若いうちの苦労は買ってでもしろ」的な意味で頑張れることもあるし(若いうちの苦労を買ってもらえるなら売りたかったわ)、将来「昔は苦労したね~」って笑い話に出来るという希望もあった。

でも人生の後半にもなってくると、もう無理な事が段々見えて来る。

残りの人生が短くなる分、若い頃のような途方もない果ての無い正体の無い不安感はある意味では減って来る。まぁ、一応死ぬまで何とかつつましく暮らせるかな~、みたいな。

でも「可能性」という意味ではやっぱりどんどん夢は減っていく、限られていく。そして健康面での不安は増していく。

そう考えた時に、言いようのない絶望感に襲われたり…、してます。

正直、クラシックコンサート自体そんなに興味がある訳でも無いし、お着物で外出…、もうしんどいからしたいとも思わないけど。でもギュウギュウの人混みは苦手なので…、今だったら花火大会を屋形船の特等席で見たい~、みたいな感じかな。

でも昔は、世間一般的に、大きな家に住んでブランド品をドカドカ買ってエステとか行き放題な人生が幸せだという価値観があったように感じるけど、最近は「物を持たない、最低限の物しか買わない、小さい部屋でも自由にのんびり丁寧に暮らす」みたいな生活がクローズアップされてきてる感じがします。物質的な豊かさよりも精神的な豊かさという感じ??

精神的な豊かさを得るためにもそれなりのお金は必要ですけどね。確かにブランド品は要らないな~。あ、でもエルメス位になると目減りしないから財産として、何かあった時に売れるから、散財と言うより投資ですよ~、とかいう意見も。たしかに物によってはプレミアがついて、購入額より値上がり~とか聞きますよね。とはいえ勿論値下がりする事もあるけど。

個人的には、今年一番心配していた「失業」が一旦回避されて、5年間憂鬱だった「免許更新」も無事終わって…、本当ならホッとしてのんびり過ごせるはずの所、やはり時期的なものと、ぎっくり腰頻発で、もう普通に身動きする事も出来なくなるんじゃないか、という恐怖に襲われ、鬱々とした日々を過ごしております。

とにかく健康じゃ無かったら、な~んにも無いですからね…、しばらくマンガさえ読めない状態でした。

座ってられないし、寝転んでマンガ読むのって辛いし、というか寝転んでても痛かったんで…。

やっとマンガ位は読めるようになってホッとしました。

「ひとりでしにたい」が更新されていて、なるみの弟の所に二人目が出来るって話。

ナスダックとしてはその前時代的な幸せ光景に吐き気を我慢している所。

で、相続の話が出たときに

「やっぱり弟の方が子供がいるんだから多めに遺した方が…」

とかダンシングマサコまで言い出して。え~~~、まぁ解るんですけどね、ん~、でもご両親ともまだ60代後半位ですよね??両方が亡くなるまでにはまだ後20年位ありませんか?その頃には弟の子育てはほぼ終わってるんでは???それに今子育て世帯は色々優遇もあるし、教育費の無償化も進んでいくでしょうし、なるみのほうが税金を払うばっかりで全然還元も控除も無いのにね~。

だったらやはり相続は等分ですよ…。

現時点で亡くなった場合は弟を多めにとしても、それはあくまで「孫費用として」だから、遺言なんて何度でも書き換えられるんだから、孫の成長や社会制度の変化と共に書き換えで良くないかな…??

個人的に、孫の入学祝にランドセルをジジババが買ってあげるとか、幾らかお祝い金を包むとか、毎年のお年玉とかあげるのは別に良いと思うけど…、相続に差をつけるって言うのはおかしくないかな??とは思います。

コメントでも「子供がいる方を多めに、は普通だと思う」という意見と「独り身では老後に面倒見てくれる人や病気した時に支えてくれる人がいないんだから、むしろそちらを多めに」という意見とに分かれてて、どっちも解る…、のでやっぱり等分じゃないんかな~?

次回のサムネでナスダックが

「自分たちで使い切って死んでください!!」

って怒っていたので…、なるみが軽んじられるような空気に異を唱えてくれたのかも。

これからも更新が楽しみです。

ちょっとしばらく「一日三捨て」はお休みと言うか、不定期で「出来る時にやる」というスタンスで行きたいと思います。

それでは、この冬も厳冬の予報…、夏は酷暑で冬は厳冬ってどうなってるの??ですけど…皆様もくれぐれも健康第一で、慌ただしい時期を乗り切って下さい。

それでは、お読みくださいまして、有難うございました!!