鈴豆そうさく日記

自作イラストやドールドレスの紹介、日々の片付けや独り言などゆるゆる綴っていきたいです。

最後のキスはバナナのflavorがした

こんにちは、鈴豆です。

やっと、まめたんの埋葬が終わりました。

準備が出来るまで何日も冷たいチルド室で寒かったね。

プランターにはお花を植えるつもりですが、まだ種を買っていないのでとりあえず寄せ植えを買って来て植えました。

まめたんは今大好きな「熟成ロイヤル」をお布団にして眠っています。

枕元にはやはり好きだったバナナとリンゴを乗せて、沢山のお花に囲まれて。

埋葬する前に、最後のチューをしました。

枕元に置いたバナナ味でした。甘くて切ない香り。

まめたんの身体にはお花の香りが移っていて、最後のお羽の匂いはお花の香りでした。

いつもの、ちょっと煙たくて香ばしい匂いじゃ無かったけど、最後まで綺麗だったね。

8歳三か月は、人間でいうなら63~4歳位かと思いますが、まめたんはずっと若い頃と変わらない、可愛くて美しい姿のままでした。天使さんだから老けないんだね。

毎年お正月は実家家族で集まるのが恒例だったのですが、今年のお正月は、私が余りにもドライアイが酷くて、とても電車で遠出なんて無理!!と、私は家に残りました。主人だけが呼ばれて行きましたが。

散々文句言われましたけど、本当に外出はスーパーに行くだけでも必死と言う状態でした。自宅なら、ある程度加湿も出来るし、目薬やアイマスクも辛かったら出来るからまだ何とか…。「ムコスタ」は、効果は高いとは思いますが、持ち歩いて出先で使うのはやはり厳しい…、この「扱いの大変さ」がネックで「ムコスタ」脱落している人が多いようなので、なんとかもう少し取り扱いが楽になるように改良してくれないかな…。

だから今年のお正月は、まめたんと二人で過ごしました。

毎年、元日からまめたんに丸一日お留守番させるのは正直可哀想に思っていましたから、「今年は二人で過ごせるね~」って話しかけていました。

背景が汚い(とてもじゃないけど、目が辛すぎて年末の掃除とかする余裕も全く無かった…、誰か来るわけでも無いし)ので、お花素材で誤魔化してますが、今年の元日のまめたん。クリンとしたお目目、毛並みも完璧に美しく。

二人で見つめ合って過ごしたんだよね。

「あけましておめでとう!今年もよろしくね!ずっと元気でいてね!!」

って声をかけたのを覚えています。

まさか、これが最後のお正月になるなんてね。

目は辛いけれど、せめて最後のお正月を一緒に過ごせて良かったって思います。

どうしても、動物さんは幾ら家族だ我が子だと言っても、やはりこちらが看取るのが前提になってしまいます。それは理解していたつもりでしたが、「いつかは…」と思っていても、急すぎて、全く心の準備が出来ていなくて。

赤ちゃんの頃から育てて来たまめたん。

赤ちゃんのごはんを数時間おきに食べさせたよね。私がごはんの準備をしているとまめたんはそわそわしてビービー騒いでいたね。

でもあっという間に大人のご飯を食べられるようになったね。早かった。赤ちゃん用のごはん、もっと小さなパックで売ってくれたら良いのに、ほとんど捨てることになったよ(苦笑)。

止まり木にまだ止まれなくて、練習したよね。最初は怖がって怖がって。

初めて飛んだのは、机の上から私に向かって飛んで来てくれた時だったね。

誰にも教えてもらえないのに、ちゃんと飛べるようになるんだね。凄い。

初めて言葉を話したのは、「まめたん まめたん」だったね。

やっぱり、赤ちゃんの時からお世話して、成長を見守って来た子が先に年を取って亡くなるのを見届けるのは辛いものです。

メンタームの缶を転がすのが大好きだったね。紙コップも引っ張り出しては転がして突き落として、ティッシュをくわえて大はしゃぎで首を上下しながら楽しそうに走って行った。毎日一人で大運動会してたね。あまりにも楽しそうで、可愛くて愛しくて。

私が歌うと、飛んで来て肩に乗って聞きに来てくれたよね。

棚の上、窓際、鏡の前、まめには沢山のお気に入りスポットがありました。

まめの腹時計は正確で、放鳥の時間になると、カゴを蹴って催促して。

部屋に出したら10週くらいグルグル飛んで、着地した時にはゼハーってなって。

まめたん、お昼だよ、遊ぶ時間だよ。どうして「出して!」って騒がないのかな?

どうして、土の中で一人で大人しくしているのかな?

暑がりのまめたん、外は暑いでしょう?土が重いでしょう?

食いしん坊のまめたんだから、もう「熟成ロイヤル」も食べつくしたでしょう?

お腹空いたよね?出ておいでよ。ごはんも鏡もあるよ。クーラー効いてるよ。

朝起きたら、スズメの声に合わせてピチュピチュ泣いてたよね。

カゴの中ではいつもお気に入りの場所でジッと止まっていた。

まだ、主を失くしたカゴを片付けられずにいます。まだまめがそこに止まっている様に感じます。

まめのいない部屋は静かで、暗い。

もう、夏場に冷凍庫のスペースを空けて大きな保冷剤を凍らせておかなくても良いのか。

まめに倒されないよう、中身の入ったコップを隠しておかなくても良いのか。

まめが食べちゃわないように食パンの袋を冷蔵庫にしまわなくて良いのか。

沢山食べるまめたんの、ごはんを注文しなくて良いのか。

お帰りを嫌がるまめたんを追いかけ回さなくて良いのか。

「嫌だよ~、もっと遊ぶも~ん」って駄々こねて。

何もかも、嘘みたいです。

まめのいない生活は暗くて、味気なくて、張り合いが無くて、寂しいです。言葉では言い表せない程の虚無感で一杯です。

会いたい、まめたんに会いたいよ。

まめたん、一言だけ聞かせてよ。

まめたんは幸せだったかな。

この家に来て良かったのかな。

どうしてもまめたんの、最期の苦しみ抜いた顔が頭から離れなくて、それでも、私はまめたんが綺麗で可愛くて本当にキャッキャと楽しそうに遊んでいる姿を、こちらの顔を除きに来てくれる時のきゅるんとした瞳をずっと覚えていてあげたい。

まめの一生は、楽しいものだったのかな。

それだけが聞きたいです。

まめたん、夢の中でも良いから会いに来て、教えて欲しいな。

私は幸せだったよ。8年前まではまだまめたんがいなくて、それまでどうやって過ごしてきたのか解らない位。

お家は窮屈で、天使さんには狭かったね。ごめんね。

私が泌尿器科の薬を飲まなくて良くなったのと、ほとんど入れ替わりでまめたんが特大う〇ちをするようになって。

それなのに、まさかまめたんがこんな大きな病気になっているなんて思いもせず。

まめたんが私の病気を持って行ってくれたの?本当に優しいね。天使さんだね。

だけどまめたんが病気をして苦しい思いをして、私のそばから居なくなってしまう位なら、私が泌尿器科に通う位何でも無かったのに。

私が苦しんでいる時は、まめは心配そうに私を覗きに来てくれたのに、私はまめたんが病気をしているのに気付きもせずに。自分で言えないから、私が気づいて上げなきゃいけなかったのに。

苦しかったね。でも最期の直前まで、苦しそうな顔の一つも見せずに、本当に強い子だった。

これからは、大空を自由に飛んで、楽しく暮らしてね。

淋しいけれど、まめたんの魂が小さな体から解放されて、今は幸せに自由にどこへでも好きな所に遊びにいって、喜びの中にいるものだと信じています。

まめたんのくれた幸せな日々、一生忘れないからね。

有難う。ただただ、有難う。

眩しすぎる太陽の下でも、まだ私の涙の雨は止まないけれど、まめたんのくれた光に導かれて生きて行くよ。

この暑すぎる夏、皆様も体調にはお気をつけて、まだまだ辛いご時世ではありますが、どうぞ今を大切にお過ごしください。

それでは、お読みくださいまして、有難うございました!!