こんにちは、鈴豆です。
「お掃除メイドさん」再掲です。これも片付けチャレンジの回の画像差し替えに使ったものなので、人目に触れていなかったと思います;;
お掃除回なのでホウキ持ってる絵に差し替えてました。
当時は絵のストックが大量にあったので・・・、今になって在庫切れで苦しむことになるとは~;;いや、ストックが尽きるまでブログを継続できたのはすごい・・・、ってせめて自分で言い訳してみます。
背景のラッカースプレーがもう少し鮮やかな色だったら、絵もちょっと華やかになったかも・・・ですが、何という地味色(ノД`)・゜・。。
幸せになれるのは残酷な人?
先日雑誌で印象的な記事を見つけました。学者の論文の発表とかではなく、とある「ひきこもり」の方のインタビュー記事。
うろ覚えで書いてるので正確では無いかもしれませんが内容をざっくりご紹介します。
例え大嫌いな相手であっても例えば家族が病気で苦しんでいるのを見るのは辛い。家族や友人、誰かは必ず苦しんでいる。そういう人達を差し置いて自分だけが幸せにはなれない。
幸せになれるのは、他の人なんかどうなってもいい、自分だけが幸せならそれでいい、と思える残酷な人だけだと思っている。
自分はそういう人間にはなりたくない、だから幸せになれなくてもいい。
という感じ。
わわわ、それでいくと私は何て残酷な人間なんだろうなぁ・・・と苦しくなりました。正直、自分が幸せなら良いや、って思っているタイプかも。
というか、「自分は幸せ」と思えるほどの幸福感を得られている事が少ない、まずはそこまで気持ちが上がるほどの状態に持っていく事が現状中々出来ていません。
確かに幸せと言うのは他人の不幸の上に出来上がっているのかもしれない。
例えばブログでもそう、検索順位が上がるって言うのは、他の人(ブログ)の順位が下がると言う事。入試に合格するのは誰かが落ちると言う事。就職活動でもそう。全員採用は普通は無いでしょう。
マンガなんて特にそうじゃないですか?アンケートで上位に上がらなければ打ち切りの危機ですから、仕事無くなる、食べていけない=生命の危機です。
それこそデスノートでも持ってれば、自分よりアンケートで上位の作家さんの名前を書いちゃいたいのが本音なんじゃないかなぁ、と思います。自分が生き残るため何ですから。ただ、その後罪悪感や後悔や恐怖心で潰れてしまうのがニアの言うように「まとも」なんでしょう。
「恒久的な平和なんてあり得ない、だけど数十年の平和なら過去にも存在した。自分が欲するのはかただか数十年の平和なんだ(要するに自分が生きている間位平和になれば良いという意味ともとれるけれど、恒久的な平和なんて神様でもない限り作れない、自分はただの人間なので出来る事には限りがある、という意味なのでしょう)」済みません、セリフは記憶からの概要なので一字一句は合ってませんけど(小説全巻持ってるので読み直せばいいのに;;)。
エゴと言えばエゴなのかもしれない・・・ですが、でもそれが多くの方の本音なんじゃないかと。
苦しんでいる人がいるなら自分は幸せになれなくて良いとは私は思えずにいます。勿論全ての人が幸せであるのが理想ですが、せめて自分だけでも「自分は幸せだ」と思いたい。
幸せと言うのは自分が「自分は幸せ」と思える事が重要で、端目にどれだけ恵まれているように見えても、本人に「幸福感」が無ければ多分幸せとは言えないのです。
誰かが苦しんでいるなら自分は幸せにはならなくていいだなんて思える心優しい人が、「ひきこもり」って世間のそしりを受けるとしたら悲しい事です。
他人はどうなっても良い、と言うのはさすがに酷いですけども、法を犯さない限りは、自己の幸福を追求する権利は憲法でも認められている事。幸せになる事に罪悪感は持たなくて良いんじゃないかな・・・と思います。
ネガティブ思考が全て悪い訳では無いですが、ストレスって健康にも非常に大敵となるので・・・とはいえ「ストレスを無くすように注意しましょう」とか言われてもどうしようもないなぁ。
幸福を願って今年も恵方巻を丸かぶりします!!・・・昔は恵方巻って関西だけの「変わった風習」で、某TVで紹介されて大笑いされてましたが、いつのまに全国展開になった~~~???関西の風習だとはそのTVを見るまで知らなかった;;
現実は変えようがない事も多いですが、ポジティブ思考になるべく持っていけるように心がけたいとは思っています。
お読みくださいまして、有難うございました!!